子育ての難しさを感じる話

飲食店の「子供お断り」

最近はこういうニュースを見かけるようになった気がする。いわば、今年のトレンドの1つなんだろうと思う。私とて20そこそこの若輩であり、社会のことを幅広く知っているわけではない。だから、この問題が随所で内面的に起こっていても、知らなかったことだ。

 

しかし、その無知を踏まえたとしても、たぶん、子供をお断りしたい、子供のマナーが、と言うようなことは今後、増えていくのではないかと思う。

 

その原因は当然、子供に対してどう接するか、子供にマナーをどう教えていくか、と言うことが原因となるのは当然だ。

そこで考え着いたのが、保育園という教育システムだ。

保育園育児の限界

なにも、保育園の先生が怠けていると言いたいわけではない。特に都心部などでは、先生たちは高くはない給料で、必死に大勢の子供を見守っており、限界に近い仕事をさせられていると思っている。

 

私は、人に誇れるほどマナーが素晴らしいわけではないが、一応、敬語はまっとうに使えると言われることも多く、子供の頃も大人しく、高級レストランでも恥ずかしくない子供だった。もともと安月給で暮らす家族が行く高級などたかが知れているし、親も子供の身の丈からかけ離れた場所には入らないように、配慮していたという面も存在する。

 

当時の父のしつけは厳しく、数か月に1回は怒鳴られ、年に1回は殴られたり、玄関から追い出されていたりした。妹ができると、すさまじい勢いで丸くなったことを考えると、きっと私が生まれる前はもっと苛烈を極めたのではないかと思う。私の愚痴はともかくとして、だからこそ、私は外では大人しく、そう言った意味では「マナーの出来た」子供であったと思う。

 

別に殴ったり怒鳴ったりする子育てを許容するわけではない。むしろ、この先、目にするだけでも嫌な気分になるだろう。だから、子供に手を上げるような真似はこの先あってほしくない。

しかし、保育園で行われるしつけよりは、当然、我が父の方が厳しかったはずだ。厳しいと言う観点でなくとも、子供一人に対して向けられたしつけのコストは私の方が大きかっただろう。

 

何が言いたいかと言えば

マンツーマン的な関係と集団保育ではどうしてもしつけの部分で差が出てしまうのではないか

ということだ。

 

私がどうしても苛ついてしまうものの中に、電車内で騒ぐ小学生がある。移動を繰り返したり、大きな声でしゃべったり、下手をすると満員電車のなかで車両内を行ったり来たりする、というのは、非常に困惑する。ジッとしていられないのか、と思う。偏見にまみれたことを言うのは良くないが、こういうのは私立の小学生が多い気がする。彼らや彼女らは電車内で静かにしろ、と言うことを教わる機会はほとんどない。親が電車に一緒に乗るのはせいぜい入学式の時くらいだろうし、その後の最低限6年間は全て自己判断にゆだねられる。

 

保育園→私立小学校という流れを子供に経験させることができたとき、現代社会では、親は満足感を味わう流れなのかもしれない。しかし、それが、子供の、失礼を承知で言うと、身勝手さを助長してしまうのかもしれない。

 

 

終わりに

ここまで書いておいて言うのもなんだが「しつけ」と言う部分がどうしても気に入らなかった。「しつけ」に対しては賛否両論あるだろうし、あってしかるべきなのだろうが、こうやって教育論を展開していくうえで「しつけ」を前提にしてしまうことが、自分の父親の嫌なところを再現しそうで恐ろしく感じてしまうのだ。

次は、「しつけ」と言う言葉について考えるべきか・・・。

 

そして、書いている途中で様々な反論が浮かんできて、結局結論がグダグダになってしまったので、ライターと呼ばれる人々都の力量の差を感じる今日でした。